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2023.02.12

人との出会い・めぐり逢い

浅田真央さんが全国を巡ってアイスショーを開催しています。
私の奥さんがフィギュアスケート鑑賞が好きで、オリンピックをはじめとしてよくテレビで見ています。
じつは先週土曜日に山梨公演がありまして、二人で見てきました。
演目・構成も選曲も、そしてスケーティングもすべて素晴らしいものでした。
やはり、一人ではなくて二人で見ると、そのあとで会話も弾みますし思い出も残るものと感じました。

めぐり逢い(高校時代)~スケートに恋をした

めぐり逢いといえば、人とのめぐり逢いの他にもいろいろあると思います。皆さんは今までにどのようなめぐり逢いがありましたでしょうか。

浅田真央さんのアイススケートショーに感銘を受けたのも、次の経験が影響したのかもしれません。

私の通った高校は自宅から7.5Kmほど離れたところでした。都会と違って甲府では自宅から駅に遠く電車は不便で、バスも使いづらいところでしたから自転車で通学しました。2年生になってバイクの免許を取りましたのでバイク通学に変わりましたが。

通学路の間に、「アイスパレス」という人工リンクのアイススケート場がありました。たまたま体育担当の先生がスケートが得意だったこともありまして、体育の授業の中でスケートが選択できました。また、時間が取れる時にリンクに遊びに行くようになりました。ある意味これが出会いですね。

スケートも一人で黙々と滑るより、友達と一緒に行って互いに転んだところを笑いあうのが大変楽しかったと記憶してます。スポーツのめぐり逢いであっても、一人より二人以上ですね。

根が凝り性なこともありまして、結構滑れるようになりましたが、部活に入るまでには至りませんでした。というよりも、ラグビー部と物理部を掛け持ちしてほぼ毎日へとへとになっていましたので、部活をもう一つは無理でした。ともかく、そのような環境の高校でしたので、体育大会の一環としてスケート大会なども企画される学校でした。

しかしそんな縁で親しんだスケートも、高校を卒業してからは2回代々木のアリーナで滑ったことがあっただけで、社会人になっても全く離れてしまいました。

次は、中学時代のめぐり逢いを書きます。

めぐり逢い(中学時代)~アマチュア無線に恋をした

小学校5年の時に甲府に引っ越してきました。なので、本格的に学校に浸ったのは中学からとなります。

中学1年生が始まったすぐに「アマチュア無線の講習会」の案内があって、すぐ飛びつきました。飛びついた理由は次の段落で書きます。

当時の初級免許は夏の講習会を受けて簡単なテストで免許皆伝となりました。すぐに親にねだって、肩掛けの小型トランシーバーを買ってもらって大変夢中になったものです。まだ甲府では高校生以上が楽しんでいるような時代でしたから、お相手頂いた方の多くに山梨大学の学生さんがいらっしゃいました。10歳近く年上のお兄さんたちで、彼らの大学無線室に通い詰めて理科の勉強が進んだ記憶があります。始めて1年半くらいたったころ通信機もグレードアップし、アンテナも10mを超える大きなものを建ててもらいました。高校受験などそっちのけといった感じでした。

多くの大人の方たちとの出会いがありました。山梨県外の方(時折外国とも)と会話ができるというのは、田舎の中学生にとって大変魅力的でした。100人以上の方たちとお友達になっていただきました。昭和45年前後の事ですので、ダイアル式の電話の時代で携帯電話の姿もありませんでした。無線機は重宝されていました。

中学時代の部活は「電気ラジオ部」というところで、新入生が部活選びをしたとき私一人でしたが、その後部員は増えました。

では、こんなことになった背景の小学生時代を次に書きます。

 

 

めぐり逢い(小学時代以前)~人より物つくりを愛してしまった

私は、九州(日本人ですが実際には台湾)で生まれた父と、銀座に魚と食品を下す魚河岸家庭で生まれた母と(産院は虎の門だそうで)の間で生まれ、神奈川県横浜市磯子で育ちました。当時の磯子はまだ埋め立ても進んでおらず、2才児の足で海岸まで歩いていけるようなところだったそうです。

小学校は3か所に通いました。固定した友達ができなかったのが残念でした。

最初は昔の東京都北多摩郡(今の西東京市)の小学校で3年生の春までで、夏に昔の埼玉県岩槻市(今のさいたま市)の小学校に移りました。父の仕事の関係でした。そしてその後甲府に移りまして、5年生の2学期と思いますが甲府市立の小学校に転校しました。当時の東京は24区から離れると大きな農家があり、家の前には広い畑と森がありまして夏にはセミの鳴き声がうるさいほどでした。

今はわかりませんが、当時の東京の小学校では、男子と女子は分け隔てなく楽しく一緒に遊んでいましたので、埼玉に移った時にその乗りでクラスメイトに接しましたら、周囲からいじめを受けました。男子と女子は別々に固まって遊ぶというのが当たり前だったようで、それとも知らず女子が遊んでいる縄跳びに混ぜてもらおうとしたら・・ということです。

この時のことがトラウマになったのか、その後もスマートに遊ぶことが出来なくなったのだと感じています。でも、その代わりに特殊な能力につながっていきます。

たまたま住んでいた家のすぐそばにガレキや不燃物を捨てる場所があって山のようになっていました。今では見る事もなくなった「真空管のテレビやラジオ」なども捨ててあったのです。小学校の帰り道にそれらを目にして何かもったいないような気がしていたのでしょう。

父が学生の頃の実習として受けた授業の中で「蓄音機」を作るのがあったそうで、家の物置の中にそのものや関連の部品などが仕舞ってありました。LPのレコードもあり今でも保存しています。それを私がたまたま見つけたのです。当時古い工作の本なども一緒にあって読み始めました。

父母の理解(?)もあって、私は人と遊ぶ代わりに物と遊ぶようになっていきまして、小学4年の時にはワイヤレスマイク(今では、コンパクトにピンマイクになりましたが)を作って、夏の自由研究として学校に提出したりしてました。

以上のことが背景で、前の段落で書きましたような中学生となったのでした。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。少しでも私の人となりを知っていただきたく書いてみました。

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